私と黒い服

「いつも黒い服を着ていますがお好きなの?」と
よく質問されます。
「はい、好きです。特に仕事の時は黒のみです。」と
お答えいたします。
 
私と黒い服の出会いは、遥か昔になります・・・。
1969年の初秋、パリ。
26才の私はパリにたたずんでいました。
美容師となって1年余、
この仕事を続けるか否かでとても悩んでいた時、
「本場のパリを見てらっしゃい!」の言葉に心が動き、
2週間パリで過ごしました。

義兄のご友人間瀬ご夫妻(お仕事の関係でパリ在住)に
お世話になり、様々な体験をいたしました。
美術館では
マネの 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』 や
    『 ピアノを弾くマネ夫人 』の
着ているドレスの漆黒の黒にすっかり魅せられました。
19世紀 、黒服は男の洋服の定番でした。
しかし、ココ・シャネルは
「黒はすべての色を含む色」と言い、
これまで喪服の色でしかなかった黒を
シックなモードの色としてファッション界を動かしました。
日本人も
ヨージ・ヤマモト、コムデギャルソンの川久保玲が
パリコレのショーで黒一色の舞台をつくり、
それが 今でも パリで語り草となっているようです。
黒、グレー、サウンドベージュなどの服の色が
パリのグレー一色の建物と一体化した光景を見た時、
私は衝撃的な黒の美に魅了されてしまいました。
(それまでの私はグリーン、赤、ショッキングピンク等
様々な色を着て楽しんでいました)

それ以来です。すっかり黒い服のとりこになったのは。
黒い服の似合う女性になりたいと願望が湧き出したのは。
緊張を伴い、神経を使う« 黒 »ですが、
何故か、落ち着き、安心出来るのが« 私は 黒»なのです。
パリの街に立って、黒の«色»に出会ったあの時、
私は美容師として生きることを決断しました。
                7月 大谷

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私と黒い服 への1件のフィードバック

  1. 齋藤 文孝 のコメント:

    覚悟まで決められたとは、素晴らしい黒い服との出会いですね!
    パリの街では黒やグレイのシックな色が似合いますよね。特に秋から冬にかけてはなおさらです。

    1968年のパリは若者たちのデモ(5月革命)などで揺れていましたから、行かれたのが翌年の1969年で良かったと思います。
    当時中国では文化大革命の嵐が吹き荒れていました。
    あれは一言で言うと、毛沢東の権力闘争ですが、実情が欧米では正確に分からず、パリでは若者たちが「毛沢東語録」を読むのがトレンドになり、文化人サルトルまでもが毛沢東を称賛していたそうです。

    黒い服と関係あるかどうか分かりませんが、翌1970年、フランスで大ヒットしたバルバラの曲も「黒いワシ」ですね!
    私は鹿児島県が好きですが、黒豚、黒米、黒糖焼酎、黒砂糖、黒毛和牛など黒ずくめです。
    ちなみに私もいつも黒を身に着けております。
    健康診断でお腹にエコーを当てられた時、いつも「黒くないですか?」と看護婦さんに聞きます。???という表情の看護婦さんに向かって、一言「腹黒いでしょ!」。大爆笑となります。
    失礼いたしました。

    大谷先生の黒い服には(美容師としての)歴史と誇りが刻み込まれていると思います。

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